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空手道の沿革


明の時代に武官などにより中国拳法が沖縄に伝えられた。
「大島筆記」には「支那の公相君」が沖縄の中国拳法を伝えたとも記されている。
しかし「から手」が単に中国拳法の末流分派として発達したと見るべきではない。
本来、沖縄には民族発生の当初において必然的に生まれた沖縄固有の「手」と言う
闘技があった。この「手」が中国拳法を消化吸収して、今日の空手道の体系までに
高度に発展させたのである。

空手家として公史に記録されるのは池城安頼(1588-1623)で、久米村の毛氏の嫡流
で、棒術や空手術にも長じていた。この久米村と雁行する名家に蔡氏がある。
幕末にはいると首里人にも名手が生まれる。真壁朝顕、佐久川寛賀、松村宗棍
松村門下には桑江朝通、牧志朝忠、安里安恒(1828-1906)、糸州安恒(1830-1914)
喜屋武朝扶、知花朝章、などである。

近代空手の先駆者、船越義珍(1872-1955)は初め蔡家の拳の湖城大禎の門に入って
少林拳南派の「壱百零八拳」を学び、安里安恒の許で「公相君」、そして最後に
糸州安恒から「内法戦」を学んだ。

沖縄県の誕生後、積極的に活躍したのは、糸州安恒でこの門からは屋部憲通、
花城長茂、本部朝基、知花朝信、遠山寛賢、摩文仁賢和、儀間真謹がで、これが
首里手の主流派と呼ばれている。

蔡家拳の方は名手、蔡肇功(1655-1737)を中興の人としたが、本土へは進まず
一族一門の中でのみ行われてきた為、今日ではあまり知られていない。この
流をくむ上地流の始祖、上地完文(1877-)である。
新垣通事世樟(1840-1920)は清朝最後の冊封使に「壱百零八拳」「藤牌」
「鉄尺」、「車捧」を演武下。その門下に剛柔流の創始者、宮城長順の師匠
だった東恩納寛量がいた。

泊港に漂着した山東人僧、禅南から北派拳を学んだと伝えられる照屋規蔵からは
松茂良興作(1828-)がその一番弟子である。

またその他に福州へ渡って南派拳を学んだ人の中に上地完文がいる。

武器を持たない徒手空拳が発展したのは、次の時代背景があった。
一.約550年前、尚巴志王が沖縄の統一した時に、文治立国の政策として武器の
  携帯を禁止した。
ニ.約350年前、沖縄は島津藩の属国となり、禁武政策がとられた。

二度にわたる禁武政策のために、武器に変わるものとして極秘のうちに、一拳必殺
の力を養うことを目的として、徒手空拳の空手道が高度に発展したものである。

門外不出の秘法として公開されなかったこの空手が一般に公開されたのは明治38年
船越義珍先生が沖縄県下を演武巡回されたのが最初である。
大正6年には中央に紹介するために、京都の武徳殿で演武され、さらに大正11年に
は文部省主催の第一回運動博覧会に出場されて、空手の真価を中央で披露された。
これをもって空手の本土入来とするのが通説であるが、それ以前にも何人もの沖縄の
人が本土に紹介はしている。しかし船越、儀間両先生の演武会を契機に発展したこと
はいえる
近代空手道の技術体系は旧武徳会へ加盟するに当り、沖縄に含まれていた藤牌、車棒
棒術などは除かれ純粋な徒手空拳として新しく出発することとなった。
このとき流儀の制定形として申告したのは、
松濤館流(十五形、七十七本)、糸東流(三十ニ形、八十三本)
和道館流(十六形、百十本) 、剛柔流(十三形、四十七本)
これが日本空手界の四大流派として集約されるようになった。

これを機会に東京都下の大学に空手研究会が誕生、また宮城、本部、喜屋武の諸先生
も東京、大阪等で紹介、普及につとめられた。これにより「沖縄の唐手」から「日本
の空手道」へと発展を遂げたのである。

唐手から空手道
沖縄においては、大正の初期まで空手のことを「手」または「唐手」と言っていた。
「唐」の字が当てられたのは、おそらく当時の沖縄の支那崇拝熱から箔をつける為
ではないだろうか。
日本の武術として発展した期に「唐」を「空」とし,空手道と改められた。
空手道と改められた船越義珍先生は「空手道教範」に次のように述べられている。
『空手は徒手空拳以って身を護り、身を修める術である。空手の「空」の字は一にこれ
による。空手を学ぶ者は、常に内に謙虚の心を養い、外に温和の態度を忘れてはならなぬ。
しかも一旦、義を見て立てば一千万人といえども吾れ往かんの、勇気がなければならぬ。
かの猗々たる緑竹の如く、中は空しくして外は直く、そして筋がありたい。
空手道の「空」は又一にこれによる。宇宙の色相は観じ来れば一切空に帰する。しかし
空は即ちこれ一切の色相にほかならぬ。柔、剣、槍、杖、武術の種類は数多くあるが、
詮じ来たれば悉く空手道とその揆を一にする。即ち空手道は、一切の武術の基本であると
言っても過言ではないだろう。
色即是空、空測是空、空手道の「空」はまた一にこれによる。』

空手道の特色
1.体育として
  他のスポーツ、武道と異なる特徴として空手には型がある。
  四方八方に敵を想定して、攻防の技を合理的に組み立てられた上下、左右均勢に
  動かす理想的な全身運動である。
2.護身術として
3.精神修養として
4. スポーツ競技の空手。


稲美松濤館の発足
1975年4月      旧母里中学校体育館にて、稽古を始める。(道場未登録)

1980年9月16日   専属道場建設と同時に(社)日本空手協会の「稲美松濤館」として登録

2012年8月1日   競技空手から武道としての空手道の追求を目的に「松濤の風」を発足
2021年4月1日   40周年を期に道場責任者交代、若手の指導者の合議制の体制に移行
 

空手道の組織


日本の空手組織
世界空手連盟(WKF)
アジア空手道連合(AUKO)
ヨーロッパ空手道連合(EKU)
アフリカ空手道連合(UFAK)
オセニア空手道連合(OUKO)
アメリカ空手道連合(PKF)

(財)全日本空手道連盟−−都道府県連盟  
        競技団体
            全日本実業団空手道連盟
            全日本学生空手道連盟
            全日本高等学校空手道連盟
            全日本中学空手道連盟

        協力団体
            社団法人日本空手協会
            全日本空手道連盟剛柔会
            全日本空手道連盟糸東会
            全日本空手道連盟錬武会
            全日本空手道連盟和道会