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「松濤の風」 趣意書 
 
「松濤の風」は稲美松濤館の協力団体として、公益社団法人日本空手協会に所属する。

 私たちは、空手道を人の道として、教えてこられた船越義珍師の趣旨を大切に空手を武道と
 して捉え、技の研究に励む中で、人として、「善く生きる」を、探し求める集まりである。
 
 空手道は、権力者の側にとってご都合の良いだけの従順な人間に調教するものではない。
 物事の真理を自身の心で考える人に育つ為に修練を重ねるものである。

 人として奇跡のような確率の中で生まれた「縁」の不思議さに感激、感謝して、今この
 瞬間を大切に生きなければならない。良きにつけ悪しきにつけ、その時に得た事をいつ
 までも拘ることのない、風の通り過ぎるようでありたい。


 「 、疎竹に来たるも、過ぎて竹に声を留めず。雁、寒潭を度るも、雁去りて潭に
   影を留めず。故に君子は、事来たりて心始めて現れ、事去りて心随いて空し 」


松濤館二十訓

  1. 空手道は礼に始まり礼に終る事を忘るな
  2. 空手に先手なし
  3. 空手は義の補(たす)け
  4. 先づ自己を知れ而して他を知れ
  5. 技術より心術
  6. 心は放(はな)たん事を要す
  7. 禍(わざわい)は懈怠(かいたい)に生ず
  8. 道場のみの空手と思ふな
  9. 空手の修業は一生である
  10. 凡ゆるものを空手化せよ其処に妙味あり
  11. 空手は湯の如し絶えず熱度を与えざれば元の水に還(かえ)る
  12. 勝つ考は持つな負けぬ考は必要
  13. 敵に因って轉化せよ
  14. 戦は虚実の操縦如何に在り
  15. 人の手足を剣と思へ
  16. 男子門を出づれば百万の敵あり
  17. 構は初心者に後は自然体
  18. 形は正しく実戦は別物
  19. 力の強弱体の伸縮技の緩急を忘るな
  20. 常に思念工夫せよ


「空」の意義

 空手は徒手空拳を以って身を護り身を修めるの術である。
 空手の「空」は一にこれに拠る。

 「空手道」を学ぶ者は明鏡の物を映すが如く、空谷の声を
 伝うるが如く、我意・邪念を去り、中心空虚にして只管受く
 る所を窮めなければならなぬ。
 空手道の「空」の字は一にこれに拠る。

 空手道を学ぶ者は常に内に謙譲の心を養い、外に温和の
 態度を忘れてはならぬ。しかも一旦義を見てたてば千万人
 といえどもわれ往かんの勇気がなければならぬ。かの猗々
 たる緑竹の如く中は空しくして外は直く、そして節がありたい。
 空手道の「空」は又一にこれに拠る。

 宇宙の色相は観じ来れば一切空に帰する。
 しかし空は即ちこれ一切の色相に外ならぬ。
 柔・剣・槍・杖、武術の種類は数多あるが、詮じ来れば悉く
 空手道とその揆を一にする。
 即ち空手道は一切の武道の基本であるといっても過言で
 はなかろう。
 色即是空空即是色、空手道の「空」はまた一にこれに拠る。

                     船越義珍著「空手道教範より


「空」の概念
 中国、3世紀から6世紀にかけて、王朝の混乱する中で、宗教方面では
 仏教が目覚しい発展をとげた。
 無為、自然を旨とする老荘思想と不老不死を求める神仙術は結合して
 発展し、さらに仏教の教理も取り入れ、道教が宗教としての体系を作り
 上げた。儒教の現実主義的な秩序の権威がうすれ、老荘の自由な
 形而上学への関心が高まった。
 古代から中世にかけ中国の思想の中枢であった儒教は社会秩序を維持
 する政治教義として、道教は一般庶民の生活信仰として近代に至るまで、
 中国社会の表面は儒教の世界であり、裏面は道教の世界であった。
 儒教は治者の利害に立脚したものであり、道教は被治者の思想及び
 感情を代表するもので、全体の信条からすればその大半は道教である。
 この時代の思想界は老荘哲学の「無」と仏教の「空」の概念がその中心
 であった。
 「空」を学ぶには「無」の世界を通らなければならない。
 「無」万物の根源に虚無をおくのが老荘思想の特徴である。
 老子
  「およそ天下の万物は、根源的な有より生まれ、有はさらに根源的な
  無より生れる。」
 荘子
  「有は有を以って有を為ること能はず、必ず無有より出づ」







沿革
1976年        旧母里中学校体育館にて、稽古を始める。

1980年9月16日   専属道場建設と同時に(社)日本空手協会の「稲美松濤館」として登録

2012年8月1日   稲美松濤館責任者の交代を期に競技空手から武道としての空手道の
             追求を目的に「松濤の風」を発足