トップページ

 「右用左体」

          何かの動作をするために働かせる手には、当然意識を持たせていますが、
          この時に、もう一方の手をブラブラと遊ばせているのでなく、こちらの手にこ
          そ意識を置くようにすることが大切である。
          こうすれば、体の両側の調和が取れて動作にも心が通う。
          たとえば、「空手」において、突き、受けの時、その引き手に十分意識をもつ
          ことが重要また蹴りでは軸脚が重要である。
          一度、突きがどうも決まらない時、思い切って引き手のみに気を配って突い
          てみよう。あんがい極まる感覚を覚えることがあります。  「体用一如」        

 「上虚下実」

          「上」は頭のことで、意識といいかえてもいい。「下」は下腹のことで、体の中
          心とされている。
          中国だけでなく、日本でも武道の世界でよく使われる丹田(たんでん)のこと。
          「虚」は空っぽのことで、「実」は満ちあふれていることをいう
          帯を締めると骨盤が締まり、腰椎四番目に力が集中する。
          この骨は下へ向かう動きと骨盤の開閉に関係し、集中力ができる。

 「腕で突くな 脚で蹴るな 足で歩くな」

          「突き」は腕の力で突くのではなく、背中(広背筋)の筋肉の落とし込みで。
          「蹴り」は膝でスナップをするのでなく、腰の締めで引く。
          「運足」は足でパタパタ移動せず、重心の移動で体幹から動く。

 「居着く」

   ・ 停滞、癒着、過剰意識を武術では「居着く」と云う。居着くと身の危険に陥れる、行動の禁忌である。
   ・ 見ていながら見ず、言いながら言わず、止まりながら止まらず、動きながら動かないことを「居着かない」と云う。

   ・ 自分の都合に居着くと人の心が読めない
     「愛」に居着くと相手の欠点が見えず、「憎悪」に居着くと美点が見えない。
     「敬意」に居着くと親しめず、「親しさ」に居着くと礼儀を忘れる
 

 「型」     型の稽古には演劇を学ぶような面白さがある。
          我を離れ素直に型の取り決めの中に入り込む
          ことにより開放される意識がある。
          型式を重んじ、様式の美を追求する中に我を離
          れて調和をも求める美意識がある。
    形とは「実用、省略、美」が一体となったもの。
     「実」 立ち振る舞いはその場で実際に役立たなければならない。
     「省」 無駄を省き、効率的で、その場に最もふさわしい動きでなければならない。
     「美」 そこから生まれる、美しい動き。

 「三息の礼」

          呼吸法を最もじかくできるのはお辞儀です。
          「三息(ミソク」とは吸う、吐く、吸うの呼吸動作です。
          礼の時、吸う息で腰から上体を曲げていき、吐く息での間体を停止させて、
          また吸う息で上体を元に戻す。
          呼吸と動作の対応をお辞儀に当てはめたのが「三息の礼」である。

 「初心忘るべからず」

          「初」 衣を断ち切る 意味から。
          初めて立ち向かう「ドキドキ」感に意味がある。
          「時々の初心」
          単に空手を始めた時の気持ちで、と云う意味ではなく、その時、毎回が新たに立ち向かう、
          胸踊る気持ちであるべきである。
          常に同じ状況、気持ちはなく、その時々が新たに生まれ変わった出発である。

 「術を手段に道をえる」
     日ごろの鍛錬で技を磨きます。
     技は正しい型から生まれます。
     正しい型は無理なく美しい
     この型に心をそそぎ、形を目指す。  

 「一寸千貫」
                                
       大工さんの言葉だそうで、一寸の柱でも正しく真直に立てれば千貫の重さにも耐えられる。
       正しい姿勢は強い、また心も正しければどんな逆境にもくじけることはない。

  「恋の至極は忍ぶ恋と見つけたり」
 
     佐賀鍋島藩の「葉隠」に「武士道とは死ぬことと見つけたり」と同様に有名な言葉である

      武士の心得を書き留められた「葉隠」にただ男女の色恋のことを云ったのではないと解釈する。
      「見返りを求めない」真の愛であるならば相手に気付かれぬよう密かに力になり、幸せを願う。
      また自身も「他のためにやってる」意識もない純粋な気持ちであれば、それこそ真の慈しむ心
      で、気高い心がけであるといえる。
      我々道場においても弟子、後輩に対して「教えてる」、「育てた」と自身の手柄と云う気持ちが
      心の奥に潜んでる自分に気付く時がある。
      そんな時のその自分にできるだけ早く気付き、認めることにより、その俗な心が大きくなる事を
      防ぐことができ、やがては忍こころで相手の幸せを自分の快感となるであろう。
      
      仏教の教えにも「愛」は愛欲で見返りを期待するもので、慈しむ心、「慈悲」の心を育てたい

 荘子
   真人の息
   
「真人は踵をもってし、衆人の息は喉をもってする」 
         横隔膜を使った腹式呼吸がいいと一般に言われる。武道の息の出し入れは上の呼吸横隔膜
         と下の骨盤底横隔膜を使う、特に骨盤底横隔膜を使うことが大事である。
         踵を使って歩くと、骨盤底横隔膜が上下し、腹は張ったままで空気が出入りする。踵を使うと呼吸
         骨盤底と骨盤底横隔膜につながっている大腰筋が働き、深層筋である大腰筋を鍛えることになる。
         武道で大切な股関節を柔軟に使うためには、この大腰筋が大事である。

 庖丁の技
      
技を極めて道に至る
        庖丁ととは料理人の丁さん、という意味で包丁の語源である。
        道は技より優れたもの、目に見えるものから、精神によって対応する。
        目という感覚器官で見て判断するのではなく、精神の働きによって
        料理することが、天の理、自然の仕組みに沿って行う。
        そうすれば包丁も痛めず長持ちする。技の先には「道」があり、「道」に
        即して生きることこそ養生だ。